土蔵に残る二つの家紋

現在、弊社で移築をすすめています新潟の古民家小笠原邸の土蔵には二つの家紋が漆喰で刻まれていました。

 

エピソードを書きますね。

小笠原家が仕えていた上杉謙信が急死した後、家督をめぐり謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間でお家騒動「御館の乱」がおこります。
時はまさに戦国の乱世
後世に家を残すため兄は景虎側に、弟は景勝側に、
そして、次男である当主は、苦肉の策で中立の立場をとりました。
結果は景勝側の勝利
その後、しばらくの間、当主は上杉家へ恭順の意を表し表向き母方姓の伊藤を名乗ります。


その為、こちらの土蔵のには、二つの家紋がありました。

入り口の表扉には伊藤姓の「かたばみ」家紋
 裏側の窓の扉には小笠原姓の「三階菱」の家紋が漆喰で彫られていました。

 土蔵の扉や壁を漆喰で装飾をするのを鏝絵(こてえ)といいます。
鏝絵は壁を塗る左官職人が壁を塗る時に使う鏝(こて)で作るので鏝絵といわれるようになり、左官職人の腕の見せ所でありました。
家紋や花鳥風月のモチーフが多く、火災除けの意味で水がらみのものや龍等、工芸品の域にまで達する作品も多く残されています。
 鏝絵は壁を仕上げる材料である漆喰で製作するので、時間が経っても退色や劣化が少なく綺麗な状態で残ります。

今でも古い蔵ののこる旧街道沿いでは鏝絵を楽しむことが出来ます。
下の写真は江戸時代後期に活躍した 名工入江長八さんの鏝絵です。
長八さんの鏝絵はまさに芸術の域に達しています、左官職人で狩野派の絵画、彫刻を学び、数々の作品を残しています。
伊豆出身の長八さんにちなみ、伊豆には左官芸術の長八美術館があります。
伝統工芸の一つですが、残念ながら、いまや長八さんのような高い技術の名工おられないそうです。