ねずみさんの♪イロリ~~ハウス♪


使っていなかった古民家の囲炉裏。
蓋を開けてみたら覚えのない枯れ葉やゴミが・・・いったい誰のしわざかな??
実は

ネズミのお家になっていたようです
せっせと枯れ葉を集めてたのでしょう

外敵から身を守り、餌を隠し、ふかふかの灰のお布団、
きっと自慢の安心安全なお家だったはず

 

ごめんね イロリ~ハウス~引っ越ししちゃうんだ
ねずみのお父さんお母さん
頑張ってよそを探しておくれ

あ、でも、こんなに心地よい住み家はなかなか見つからないかも


頑張れっ ねずみ君!

※写真の左上の=ネズミの通路です 

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土蔵に残る二つの家紋

現在、弊社で移築をすすめています新潟の古民家小笠原邸の土蔵には二つの家紋が漆喰で刻まれていました。

 

エピソードを書きますね。

小笠原家が仕えていた上杉謙信が急死した後、家督をめぐり謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間でお家騒動「御館の乱」がおこります。
時はまさに戦国の乱世
後世に家を残すため兄は景虎側に、弟は景勝側に、
そして、次男である当主は、苦肉の策で中立の立場をとりました。
結果は景勝側の勝利
その後、しばらくの間、当主は上杉家へ恭順の意を表し表向き母方姓の伊藤を名乗ります。


その為、こちらの土蔵のには、二つの家紋がありました。

入り口の表扉には伊藤姓の「かたばみ」家紋
 裏側の窓の扉には小笠原姓の「三階菱」の家紋が漆喰で彫られていました。

 土蔵の扉や壁を漆喰で装飾をするのを鏝絵(こてえ)といいます。
鏝絵は壁を塗る左官職人が壁を塗る時に使う鏝(こて)で作るので鏝絵といわれるようになり、左官職人の腕の見せ所でありました。
家紋や花鳥風月のモチーフが多く、火災除けの意味で水がらみのものや龍等、工芸品の域にまで達する作品も多く残されています。
 鏝絵は壁を仕上げる材料である漆喰で製作するので、時間が経っても退色や劣化が少なく綺麗な状態で残ります。

今でも古い蔵ののこる旧街道沿いでは鏝絵を楽しむことが出来ます。
下の写真は江戸時代後期に活躍した 名工入江長八さんの鏝絵です。
長八さんの鏝絵はまさに芸術の域に達しています、左官職人で狩野派の絵画、彫刻を学び、数々の作品を残しています。
伊豆出身の長八さんにちなみ、伊豆には左官芸術の長八美術館があります。
伝統工芸の一つですが、残念ながら、いまや長八さんのような高い技術の名工おられないそうです。

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意外?!古民家に合う照明


先日、お客様をご案内した古民家の居間の写真です。
囲炉裏の上に使用されていたペンダント照明がとても素敵でした。きっとリアルなミッドセンチュリー時代の照明だと思われますが、他にもルイスポールセン等の大ぶりで遊びのある北欧っぽいデザインの照明も似合いそうですね。


雪深い地域の古民家は、温暖な地域に比べて、屋根勾配がきつく雪が積もりにくく、尚且つ屋根上に乗って雪かきも出来る傾斜でなければなりません。梁・柱も雪の重さに耐えられるように大きな木材を使用しますので、天井の高いダイナミックな空間のものが多く見受けられます。もちろんそうではないものもありますが、雪のよく降る土地の古民家には独特な骨太の魅力があります。

意外と、この骨太な雰囲気と北欧の家具は合うようです。
 北欧のデザインは、ポップで明るい色使いや軽やかなデザインが特徴ですが、それは日照時間の短い天候に関係しているのだそうです。屋内で過ごす時間が長いため、いかに屋内で過ごす時間を楽しくするかというのがテーマだそうです。独特の優しい色使いとポップなデザインに納得です。
それって、、、北陸・東北地方にも通じてるのかな?!
囲炉裏に燻されたちょっと重い雰囲気の古民家に、遊びのある照明は実にマッチしていていました。

ちなみに、色に対する感覚は住んでいる土地の太陽光線の強さ(気候天候)に左右されるそうです。

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大黒柱からのメッセージ

現在、解体作業中の新潟の古民家O邸の囲炉裏のある座敷には、「質素倹約」と黒漆で大きく書かれた大黒柱があります。筆は達筆で大らかな文字です。


 この墨書きを書いたのは、12代目ご当主の廣林、水右衛門さん(1816年~1853年)だそうです。江戸幕府による天保の改革、質素倹約の時代と合致します。
その当時の世相を見てとることが出来ますね。
 水右衛門さんは書に通じた方で、役所の書役をされた方だそうですが、37歳という若さで早世されています。
しかし、柱の文字は若々しく伸びやかで、語りかけてくるような雰囲気があります。
他のご当主の方に比べるとかなりの短命ですが、柱の文字は黒々としていて子孫を見守っているような存在感がありました。

この大黒柱は、移築先ではどのような空間におかれるのでしょうか、今からとても楽しみです。

 実は、「廣林」さんの正式な呼び方がわかりませんが、個人的には「ヒロリン」さん大黒柱と呼びたいです。

 

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美しい庭のひみつ

現在、弊社で解体移築をすすめているO邸には美しい庭があります。


屋敷の奥には光るような苔庭が観賞用に育てられ、子供たちは庭に立ち入ることすら出来なかったそうです。その横には美しい藤棚、前庭には立派な枝垂れ桜もあります。冬には、枝が折れないように縄で雪つりをして庭の苔や樹木を守ったそうです。
 

エピソードを書きますね。

 

戦国時代、こちらの小笠原家の初代は、兄と共に同族の三好氏を頼り京都へのぼりますが、摂津国芥川城で厚遇され客将としてしばらく過ごします。その間、兄は将軍足利義輝(義昭の兄)の弓矢、騎馬の師範となり、弓矢の名家として活躍しています。
 当時、三好氏一党は平安時代からの藤の名所として名高い野田付近(ノダフジの名前の由来にもなる)支配しており、信長の軍勢と対峙していました。
この頃の戦国武将は戦いに明け暮れる傍ら、藤の花見に興じる風流な一面もあります。

三好長逸、三好長慶、三好笑岩、松永弾正などの武将の藤の花を詠んだ歌が多数残っています。
 茶道、生花、能楽と日本文化が大成された時代でもあり、作庭技術も画期を迎えます。
庭園様式で築かれた庭を眺めながら菓子とお抹茶を味わう文化は安土桃山時代の武家にあってはたしなみでもありました。
 その華やかな文化の中心にいた初代当主は、その後 新潟へ戻ります。そして、この美しい庭を作ったのではないでしょうか。ノダフジの藤棚と輝く苔庭は代々の当主が大切に手入れを続け守ってきたのだと思います。
小笠原家の奥座敷の窓から見える苔庭、藤棚、まるで額に飾られた美しい絵のようでした。枝垂れ桜も美しくて有名だったそうです。この特別な歴史をもった屋敷は、地域のなかでも特別な存在であったようです。
解体移築に携わることができて、改めて感謝しております。

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